被告はこうも言い放ちました。

「ネットで集まった奴らが、ネットに書かれた情報をもとに事を大げさにいっている。」

ネットで集まった奴ら、連中呼ばわりでした。原告は日本全国にバラバラで、確かにインターネットを利用して募集したことは事実です。しかしそれは一昔前であれば新聞広告であったり、電話であったり、ファックスを利用したりと「通信手段」の話です。

インターネットをもって見下されることは、インターネットサービスを仕事とするものとして尊厳を二重に踏みにじられ、強い怒りを感じました。

まず前提として、優れたクリエイターが人格者であるとは限らない、というかむしろ人格者などではない場合の方が遥かに多いし、それ以前に人格者である必要など全くない、ということを挙げておきたい。

クリエイターは、「いい人かどうか」ではなく、「どんな素晴らしい創作物を作っているか」という軸で評価されるべきだ。それはフィールドに関係ない。漫画だろうが、小説だろうが、映画だろうが、音楽だろうが同じことだ。

創作物と人格が全くの無関係とは言わないが、人格者しか創作物が評価されないような世界になったら、漫画業界や小説業界はホント―にエラいことになってしまう。「嫉妬深いし大人げないから」という理由で手塚治虫先生が評価されない世界を想像してみれば良い。

- 人格と創作物を切り離せない人は、SNSで好きな作者さんをフォローしない方がいいかも知れません: 不倒城 (via katoyuu)

人格者って何だよ、って話かな。人格者=世間の常識を持ち合わせている人というなら、そりゃ奇抜なアイデアなんて生まれっこない。世間が思いつかないことするからクリエイターなんであって。

クレクレ厨が嫌われるのは、ただ単に、自分からは何も有益な知識を提供せず、他人の知識にただ乗りしようとするからではない。他人の知識を尊敬していないからだ。断片的な情報・知識の背後にある知恵への尊敬を欠いたままで、ただただ情報の表層的な効用だけを追い求めるからだ。
私は6年前にソニーのトップに就任した当初から、電機メーカーが映画や音楽などのソフトウエア部門をグループに抱えている意味を(マスコミから)問われ続けてきました。「他社がコンテンツを使うことを阻止できる」というのがその答えです。米アップルが2003年に音楽配信サービス「iTunes Music Store(現iTunes Store)」を始めた当時、ソニーの音楽部門は楽曲の配信を許してしまった。当時の私にはそれを阻止する力がなかったが、今なら違った判断を下せます。
引用元は「日経ビジネス 2011年9月26日号 26ページ」です。
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From NeXT To Mac: くたばれストリンガー!ユーザを敵に回した一つの発言

( ゚д゚)

ストリンガーってこんなこと言ってたのか……。もし仮に本音ではそう思っていたとしても、絶対公言しちゃいけない類の言葉でしょ。もしストリンガーがこれを公言しても構わないと思っていたとしたら、ソニーが凋落した原因はそういう意識の問題なんじゃないかなあ。

(via ryou-takano)

音楽は文化なんだよ。それをビジネスの道具として扱うことが許せない。もっと尊いものだよ、音楽は。ソニーは知恵だけじゃなく、智恵も失った。だから没落するのは当たり前だ。

IE6使ってる層が全体の5%切ってんのに、大企業等に限定すると45%とかおかしいだろ。どんどん最新環境にしろよ。そんなんしないでグローバルに勝つとかいってんじゃねーよ。
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Re: HTML5はむしろ企業システムに向いている – 記者の眼:ITpro | とりあえず死ななくて良かった人のブログ

御意。

(via hirata)

幾ら掛かると思ってんの?大企業ほど社内システムは巨大で検証にどんだけコストが掛かるか知らないでしょう。

 いかに経済がそれで繁栄するからといって、「安全性」を確保する方法もわからず、何千年、何万年の間、ありとあらゆる生物に測り知れぬ危険をもたらすような、毒性の強い物質を大量にためこんでよいというものではない。

 そんなことをするのは、生命そのものに対する冒瀆で あり、その罪は、かつて人間のおかしたどんな罪よりも数段重い。文明がそのような罪の上に成りたつと考えるのは、倫理的にも精神的にも、また形而上学的に いっても、化物じみている。それは、経済生活を営むにあたって、人間をまったく度外視することを意味するものである(190-1)。
- 古典を読む 原子力の本質 —-シューマッハー再考 (via nakano)

あー全くもって同感。原子力を推進する人達に感じる怒り以上の気持ち悪さって、これだ。

sadauki

sadauki